ほとんど無人の砂浜を、井川慶は黙々と走り続けた。彼が近づくと、苦しそうな吐息が聞こえる。彼が走り去った後には、潮騒だけが耳に届いた。
2009年12月7日、井川は故郷の大洗海岸で、新しいシーズンへ向けた練習を開始した。砂浜を走ること自体は珍しいことではない。いつものオフと同じトレーニング風景だが、彼の足元だけいつもと少し違っていた。
「荷物がまだ届いてないんで、実家に寄って取ってたんです」
練習が始まる前、井川がそう言ったのを思い出した。彼が日本へ帰国したのは約一週間前である。トレーニング用のシューズを入れた米国発の荷物は、まだ日本に届いていなかった。
「昔、遊びでサッカーをする時に使ってた靴なんです」
よく見ると、黒を基調にした彼の靴の底に無数の凹凸が付いていた。
「走るだけなら、まぁ大丈夫なんで」
米国への永住権を取得申請中だったため、彼や彼の家族はいつもの年より、ほんの少しだけ長くニューヨークに滞在していたという。
「あっちでも体は動かしてました。(アパート備え付けの)ジムは意外に充実していたし、結構やれたと思いますよ」
そうは言っても、器具の上で走るのと砂浜で走るのとは違う。
井川はあまり軽そうには見えない靴で砂を蹴りながら、2010年に向けてのスタートを切った。
井川は2009年、米球界移籍後、初めてメジャーリーグの公式戦の舞台に立つことなく、シーズンを終えた。
「……途中で肘をやっちゃいましたからね、最後に状態は良くなったけど、しっかり投げられなかった時期があったわけだし」
不完全燃焼?
「うん、まぁ、最後まできっちりやれなかったですからね」
普通、彼の中に“後向き”な考えは存在しない。だからマイナーリーグに縛り付けられたこの一年半も、例えば「普通の野球選手が行けない町とかに行けましたしね」とあっけらかんと振り返れる。その井川が怪我のためとはいえ、全力を尽くせなかったのだ。澱むような思いがそこにあったとしても不思議ではない。
「あの時期に防御率がガクンと落ちてからは、ちょっとね……」
彼の言う「あの時期」を語る前に、彼の昨季を振り返っておかねばならない。
井川はメジャーリーグのキャンプに招待選手として参加。救援投手として7試合連続無失点を記録するなどして、防御率0.59と好投した。「開幕メジャーか?」と期待を持たせたが、昨季のヤンキースは、C.C.サバシア(前ブリュワーズ)とA.J.バーネット(前ブルージェイズ)の加入で、先発投手陣の枠には最初から空きがなかった。結局、キャンプ終盤にマイナーへ再合流。そこで最初の誤算が生じた。
「ずっと救援投手として調整してきたこともあって、先発としての調整が少し遅れてしまいましたね」
四月は2勝0敗ながら、防御率は6.75。決して本調子というわけではなかった。
井川の調子が上がったのは5月だった。この月、彼は3勝1敗ながら防御率1.46と大健闘。7月には所属するマイナー球団の史上最多となる通算27勝を挙げ、同月21日付のニューヨーク・タイムズ紙では、「大リーグ再昇格」が話題になった。
「この試合まで井川は、左打者に対して101打数16安打の防御率.158に抑えており、ヤンキースは彼の昇格を考え始めた」。
そんな時に起こったのが、二つ目にして最大の誤算だった。
「最初は“張り”がある程度だった」という左肘の違和感。7月半ばのマイナーの試合では、初回にキャッチャーが慌ててマウンドに駆け寄ったほど、本来の球威を井川から奪い取っていた。
しかも幸か不幸か、その違和感は「投げられないというほどではなかった」。
「投げられるんだったら投げたほうがいい。登板回避とかは考えなかった」
当然、球威不足で打たれれば成績は悪くなる。結果が悪ければメジャー昇格のチャンスは少なくなる。それなのに、なぜそんなリスクを背負いながら投げ続けたのか?
「日本でも、ずっとそうしてきましたから」
阪神タイガースの“エース”として君臨した時代の、“責任感”とでも言えばいいだろうか。2001年の一軍定着から米球界移籍までの6年間で、彼はどんな不調に陥っても毎年平均198回以上に登板した(当時も今も、阪神投手陣にそんな数字を残した投手はいない)。
「(肘を)誤魔化しながらでも、何とかなると思って投げたけど、駄目でしたね」
井川の苦笑いの中に、後悔の念は見えなかった。
「防御率二点台だったら、(大リーグ昇格の)チャンスはあったかな、と思う」
事実、ヤンキースは昨季、のべ20人ものマイナー選手を大リーグに昇格させた。そこに井川の名があったとしてもおかしくはない。だが、肘の痛みと格闘している内に彼の成績は降下し、痛みが引いた終盤に盛り返したものの、結局、昨季は10勝8敗、防御率は4.15という凡庸な成績に終わった。
皮肉にも井川のメジャー再昇格の可能性が消えた頃から、ヤンキースの独走が始まった。結果的に彼らは2000年以来のワールドシリーズ優勝を果たしたが、井川はいったい、どんな思いでそのニュースを聞いたのだろうか。
「自分はメジャーにいませんでしたからね」
短い言葉の中に、すべての思いが込められている。
「来年だって、メジャーのキャンプに招待されるかどうか分からない」
寂しい話だが、自分の置かれた立場を冷静に受け止めている言葉だった。今の彼は、「40人枠=メジャーリーグの選手登録枠を外されたマイナーリーガー」である。他の誰かがその枠から外れない限りは、お呼びがかからない。だが昨季は、大家友和、薮田安彦、田口壮という三人の日本人選手が、枠外からの「メジャー再昇格」を果たした。
「結果さえしっかり残せば、メジャーに上がれるってことだと思う」
そして、その結果を残している時に、幸運にもメジャーリーグの出場選手枠に欠員が出て、「ケイ・イガワの助けが必要だ」という判断が下されること。井川の大リーグ復帰は、絶対的な実力と幾らかの幸運が絶妙のタイミングで合わさった時にのみ起こる。
「今年はああいう一年だったので、当然、悔しい思いもある。来年はとりあえず怪我しないようにして、一年間頑張りたい」
四年目を迎えたメジャー挑戦。逆風だらけのシーズン。いつも通りの淡々とした言葉の中に、強い決意が宿っていた。
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