フロリダ州フォート・マイヤーズは、メキシコ湾に面した高級リゾート地である。タンパからは車で約二時間の距離にあり、フロリダ半島西海岸のプロ野球キャンプ地としては最南端に位置している。
当地は人口6万人の小さな町だが、昨春からは日本でもよく名前が知られるようになった。それは当地がボストン・レッドソックスのキャンプ地だからである。実際、2007年の春は数多くの日本人がフォート・マイヤーズを訪れた。その大部分が日本のメディアだった。彼らは松坂大輔の一挙手一投足に注目し、生放送で日本へ伝える媒体まであった。
そんな町が2008年3月9日の午後、再び日本から注目されることになった。
それはニューヨーク・ヤンキースが、当地でキャンプを張るもう一つのメジャー球団、ミネソタ・ツインズを訪問したからだった。もちろん、オープン戦を戦うために、である。
この日のゲームが注目に値した一番大きな理由は、それがオフの間に膝の手術をした松井秀喜の復帰第一戦だったからである。この日の登板予定投手の一人は井川だったが、ニュース・バリューとしては前者の方が遥かに大きかった。
「明日の朝は早いっすよ。バスで行きますから」
3月8日の夜、井川はそう言った。オープン戦3試合目の登板となる対ツインズ戦前日のことだった。
「先発じゃないっすね。今度も三番手だと思います」
そんな本人の言葉が、今年のヤンキースにおける彼の立場を表していた。
オープン戦における井川起用法は、一年前とは大きく違っていた。すでに先発の頭数が揃っていることもあって、ヤンキースは王、ムシーナ、ヒューズ、ケネディー、そして、救援から先発への転向が噂されていたチェンバーレインという順番でローテーションを回していた。井川はヒューズと同じ日に登板日を組まれ、ヒューズが降板した後を受けてマウンドに立つことが多かった。
「(順番は)自分が決めることじゃないですから。そりゃ先発と決まっている方が調整はし易いけど、『先発として考えている』と言われているし、そうなった時のために準備するだけです」
若い投手の未来を予見しようとするとき、メジャーリーグは日本よりも遥かにあからさまに見える。井川はヒューズが故障した場合に備えて、同じ日に登板していた。今季から指揮を取るジラーディ監督は、早くからヒューズとケネディーの同時起用を口にしていたし、彼らがオープン戦でよほどの失敗をしない限り、井川に出番はなかった。つまり、ヤンキースにとってケイ・イガワは主戦投手が故障した場合の「保険」に過ぎなかったのである。
井川のオープン戦は大学生に満塁ホームランを打たれて始まった。
メジャーリーグでは、オープン戦の初戦に大学の野球部と試合することが一部慣例となっている。その相手は本拠地近隣の大学であったり、キャンプ地の大学であったりだが、この日のヤンキースの相手はデレク・リー(カブス)やジェシー・リッチ(ブルージェイズ)などを輩出した南フロリダ大学だった。
2月29日の午後、ヤンキースはチェンバーレインを先発とし、その後をケネディー、ヒューズ、そして、井川という順番で繋いだ。そこに特別な序列はなかったが、2008年の先発ローテーションを狙う若手投手陣が揃ったという意味で異色だった。
予定通り4番手で登場した井川は、実は久し振りの実戦登板で「力んだ」という。
「力を入れすぎて(ボールの)リリース・ポイントが遅すぎましたね。早くしようとしたら高めに抜けてしまうし。まぁ、最初(の登板)だったんで仕方ないかな、と」
と井川。結果的には単に「仕方ない」だけでは済まなかった。
6回から登板した井川は、二人のバッターを歩かせて満塁のピンチを迎えた。力んではいたが、彼の速球は大学生相手には充分だった。しかし、それがストライクにならなかったことで、自然とキャッチャーは変化球を要求する。満塁ホームランは「真っ直ぐにタイミングが合っていない相手にスライダーを投げれば合ってしまう」(井川)という状況の中で生まれた一打だった。
大学生相手に満塁弾を打たれたことは、日本でも大きなニュースとなった。赤っ恥、屈辱…等々。分かり易い言葉が様々なニュース媒体で飛び交った。
実際、井川にとっての収穫は何も無かったように見えた。しかし、マウンド上で極めて感覚的な人間になる彼にとっては、実戦のマウンドに立つ、という事実が何よりも大事なことだった。
「力を抜くといい球がいったので、そういう部分は良かったと思います。初球にストライクが幾つも取れたし、あとは日本にいた頃と同じように、少しずつ合わせていくだけです」
1回を投げて、三振が二つとフライアウトが一つ。持ち味が出ていると言えば出ていたが、いきなりの4失点だった。
だからと言って、その後、井川のピッチングや練習法が変わったわけではない。たとえば彼はオープン戦が始まる直前に“早出特投”を行わなくなったが、それは予定通りの行動だったという。
「ゲームが始まってからは、自分の登板日に合わせてやっていきました。それは日本の時も同じです。オープン戦が始まるまでは、去年より多く投げて肩を仕上げていきましたけど、大事なのは開幕に合わせてやっていくことですから」
続くブルージェイズ戦(3月4日)では3番手で登場。2回を投げて2三振を奪って無安打無失点に抑えた。
井川はこの時、2007年には無かった“ある感覚”を掴んでいた。
「(ブルージェイズ戦では)8球連続真っ直ぐを投げて、2アウトを取ったんですけど、その後でいきなりチェンジアップを投げてもいいところに投げられた」
チェンジアップは彼にとっての積年の課題だった。その制球が定まらないことで、日本でもアメリカでも彼のピッチングは根本から変わらざるを得なかった。去年はほんの少しの間だけ、その武器が使えるようになった。しかし、2001年や2002年のように機能したかと言えば、それは疑問だった。
「(チェンジアップが)良い時はいろいろなタイミングで投げられたんです。思い切り腕を振ったり、わざとゆっくり振ってみたり。そういうことは最近やってないし、出来てもいない」
オープン戦序盤、その感覚が甦りつつあった。
「ああいうのが次も続けば自信になる。駄目ならまた考え直さないといけない」
3月9日のツインズ戦は、そういう状況の中で行われた。
先発のヒューズが4回を無安打無失点に抑えた後、井川は2番手でマウンドに上がった。結果的に言うと、彼は2回を投げて無安打無失点に抑えたが、四球を三つ与えたために、あまり良い印象を残さなかった。この試合ではキャッチャーのホゼ・モリーナとも呼吸が合わなかった。速球が高めに浮く、変化球でストライクを取りにいくのも苦しい。そんな自覚があったときに、突然、一塁走者の様子を見るために「ボールを投げろ」というサインが出る。
「こっちがアップアップしているのに、どういうことなのか、さっぱり分からない」
分かっていたのは、井川が求めた“収穫”がこの試合からは得られなかったことだった。この日の彼は“チェンジアップの感覚”どころではなかった。内容を伴わない結果は、彼の開幕メジャーに早くも赤信号を灯していた。
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