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●KQUEST COLUMN 2008

KQUEST 第十二回 入郷従郷

 

 これほどまで多くの日本人メジャーリーガーが誕生すると、それぞれの球団の対応に違いがあることに気付かされる。
 例えば昨季、日本でもっとも注目されたレッドソックスは、巨額を投じて日本人選手を獲得したことで、それに見合った対応をしてみせた。
 まず彼らは専属の通訳と日本人メディアのための広報を雇った。そこまではどの球団もやっていることだったが、彼らはさらに日本からの専属トレーナーの随行を認め、当時マイナーにいた日本人トレーナーをメジャーに昇格させた。野茂英雄や大家友和がいた時代にそういうサポートがなかったことを考えれば、それは異例のことだった。
 日本人選手がメジャーで成功するために、それらのサポートが絶対不可欠だというわけではない。しかし、事実としてヤンキースはそこまで徹底したサポートをしなかった。
「専属トレーナーが駄目ってのは最初から分かっていたことなんで、去年はそれなりに考えていろいろとやりましたけどね」
 と井川。例えば日本人選手が日本から専属トレーナーを連れてくるのはレッドソックスが初めてではなかった。ロサンゼルスでも、シアトルでも、そういうことは行われてきた。ついでに書いておくと、今年はシカゴでも新しく加わった日本人選手のために専属トレーナーが随行することになった。専属トレーナーと言っても、形式上はチームに雇われるために、結局は他の選手の面倒も見る。日本の野球界で腕を磨いたトレーナーへの評価はアメリカでも年々上昇しており、昨今ではそこにあるメリットがかなり大きいと判断されている。ヤンキースは井川入団以前にも伊良部秀樹、松井秀喜と日本人選手はいたが、昨季のレッドソックス並みのサポートをしなかった。


 もちろん、必ずしも日本人選手全員が専属トレーナーを連れて来たかと言えば、そうではない。井川同様、専属トレーナーを随行させることが許されなかった選手は他にも多い。井川のチームメイトの松井秀喜もその一人だが、彼らは与えられた条件で自分のパフォーマンスを最大限に引き出してきた。
 どちらがいいというわけではないが、野球選手が十人十色なのだとしたら、やはりそこには合う、合わないがある。分かっているのは、こと調整法という点に関して言えば、井川はアメリカ流には合わなかった、という事実だけだ。
 そういう状況は今年も変わらない。今年になって急に専属トレーナーが付くはずはなく、ヤンキースのサポート体制は昨年と同じである。
「まぁ、困ったことは困ったことですけど、そういうことなんだから仕方ない」
 仕方ない、では済まないのではないのか。
「去年は月に一回ぐらいのペースで添田さんに来てもらいましたけど、それは今年も基本的に同じだと思います」
 もっとも、井川にとっては専属トレーナーの存在と同じぐらいに気になることがあった。それはキャンプからシーズンにかけてどれぐらい多くのボールを投げられるのか、ということだった。
「そうですね、キャッチボールでも、とにかくこっち(アメリカ)はあんまり数を投げるなってことになるんで」
 そこで普段から傍にいる通訳が、意外なほど重要になってくる。


 投手の肩や肘は消耗品。
 その考えに異論があるわけではないし、井川はむしろそう考えていた。
「でも、ある程度は投げないと感覚が掴めない。例えばチェンジアップを低めに決めたいと思って練習中にいい感じで投げられたとしても、それから何もしないで次の登板までその感覚を維持するのは難しいですから」
 肩、肘は消耗品と分かっていても、アメリカ流の極端な姿勢に合わせると調子が狂う。少し奇妙な矛盾だが、辻褄は合っている。それは井川が阪神時代にやってきた日本流とアメリカ流との間に大きな差があったからだろう。
「コーチに内緒でやっちゃいけないので、キャッチボールしたかったらコーチを呼ばなきゃならなかったし、そうなると自分の思い通りには出来なかった」
 熱を入れて投げ始めた頃に「もう充分だよ」と打ち切られる。あるいはもう少し力を入れて投げたいな、と思っているところに「今日はここまだ」と言われる。当時の通訳の渡辺弓太郎は優れた人材だったが、トレーニング・パートナーとして雇われたわけではないので、井川の要求に完璧に応えるのは難しかった。
「それにコーチがそのために他の選手を呼んだりするので、そうなるとちょっとね」
 ちょっとね、というのは実は井川なりの配慮だった。つまり、他の選手は皆アメリカ流の調整の仕方をしており、あまりボールを投げたくない。そういう選手を自分のために呼ぶわけにはいかない、ということだ。


 日本人が海外でなるべく快適に暮らしたいと思う時、典型的には二つの選択肢がある。
 一つはその国の流儀に従って、身も心もその国の慣習に染まりきってしまうこと。もう一つは自分の祖国の流儀を押し通すことである。前者はその国の流儀に従うことでそれまでの自分を捨て、新しい自分を作っていかなくてはならない。後者は自分の周囲に祖国の慣習を押し通せる環境を作らなければならないので、前者以上の労力を注ぎ込まなくてはならない。実際に海外に居住している日本人の多くは、両者をうまく混同して生きている。
 きっとそれはアメリカで野球をしている選手たちにとっても同じなのだろう。
 アメリカにはアメリカの流儀がある。しかし、自分には日本でやってきた自分たちのやり方がある。日本人選手の海外移籍が普通のことになった現在、かつてアメリカ流に従うしかなかった選手たちの自我は昔に比べると強くなった。しかし、それでも異国で生活している限り、すべて日本流を押し通すわけにはいかない。
「投げるっていうのは感覚的なものもありますし、やっぱり、あまりにも投げないとそこら辺が狂ってきちゃうんじゃないですか。日本にいた時の自分はあまり投げない方だったけれど、それでもこっちの選手よりは投げていたから、こっちのやり方に合わすと難しいところはある」
 だから、このオフは早めに肩を作って順調に仕上げた。シーズン中も新しい通訳を雇うことで常に投げられる環境を作った。ところがそこに一つの影が差していた。


 新しい通訳がトレーニング・パートナーとなれるなら、それは「去年とは違うやり方」を模索していた井川にとって追い風となるはずだった。  ところがヤンキースは独自に通訳を探し出していた。
「その辺りは、正直、不安な点ではありましたね」
 と後に井川は言っている。では、その不安をどうやって解消したのか。
 新しい通訳の福田洋平は、実は井川にとっての阪神時代の先輩、藪恵壹の通訳だった。
「藪さんに電話してどんな人か訊いたんですけど、その時にキャッチボール出来るし、練習も一緒にやってくれるよって聞いてましたから、それだったら大丈夫かな、と」
 それが事実なら、コーチにキャッチボール相手をしてもらう必要もなければ、他の選手に頼む必要もない。一瞬、吹いた逆風は瞬く間に追い風となった。 「まぁ、実際に(新しい通訳に)会うのはキャンプが始まってからでしょうけど、会ってからいろいろと話してみます。それで分かることもいろいろとあるだろうし」
 水戸での自主トレーニング終盤、2008年シーズンへ向けた井川の態勢は徐々に整いつつあった。同じ頃、岩田が帰り、田村が帰り、そして女子プロ・ゴルファーもシーズン開幕へ備え、それぞれがいるべき場所へと戻っていった。
 1月の終わり、井川は再び孤独なトレーニングを開始した。
「うん、まぁ、一気にいなくなっちゃうんで、何だか寂しくなっちゃいますけどね」
 もうトレーニング中に彼が他のアスリートを煽ることもなければ、悪戯を仕掛けることもない。遊びの時間も笑いも、もうそこには必要なかった。

(文中敬称略)

 

  

KQUEST 第九回 投禅一如
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