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●KQUEST COLUMN 2008

KQUEST 第十回 斬釘截鉄

 

 寡黙でストイック。内向的で無愛想。そのすべてを否定するつもりはないが、元々、そういったイメージは、生身のケイ・イガワとは少し違っている。
「皆、せっかく遠いところから来てるんだし、頑張ってもらわないと」
 と井川。まるで自主トレーニングの応援団長である。合同自主トレーニングは去年から始まった。ただし、以前からサッカー選手などが参加することもあり、そういう時、彼はよく楽しそうな表情を浮かべていた。
 息を切らして走っている選手を追い込む井川に、「楽しそうだ」と言うと、彼は笑ってこう答えた。心の底から楽しそうに。
「ま、どSですから」
 ウェートトレーニングの最中、彼は相手が誰であれ、腹筋台の角度を急勾配に変えたり、ウェートの重さを変えて一人ほくそ笑んでいた。
「阪神の時とか、こういうのは普通ですから」
 手口は巧妙……と言うより、あからさまだ。瞬発力を鍛えるサーキット・トレーニングがある。まず、バーベルを肩に乗せて小刻みに素早くスクワットをする。次に錘を背負って素早く腹筋をする。最後にステップを刻んでメニューは終了するのだが、他の誰かがスクワットをしている間に、井川は腹筋のための錘を増やす。錘を持っているところを未来の被害者に見つかると、元・孤独な求道者はこう言いながら笑うのだ。
「いやーっ、これって重いな。ヨイショっと」
 一応、自分でその錘を使ってトレーニングしているという演技である。
「頑張らなくっちゃ……」
 井川はそう言って険しい顔をした。もちろん、口元はかなり緩んでいる。


 当たり前の話だが、他のアスリートたちとの自主トレーニングの間中、井川の表情が緩みっぱなしだったわけではない。距離を走る。時間内にペースを上げて走る。腹筋を繰り返す。負荷を掛けて、素早く状態を振る。そんな時には苦痛に顔が歪む。声を掛けることもためらわれる。それはこの数年間、一人だろうが、仲間とやろうがいつでも見られる表情だった。自分のペースは守るが、不平不満は言わない。その辺は、やはりプロで10年近く飯を食ってきた良癖だろう。
「今はちょっと体重が重い。それだけですね」
 添田トレーナーの見解である。確かに体が少し重そうだ。
「あとはすべて順調に行っている。肩も作れたし、ウェートも去年の今頃と同じぐらいの重さを上げている」
「んー、別に普段より食べてるわけでもないのに、体重がなかなか落ちないんです」
 と井川。ベストには近づきつつあったが、まだそこに達しないもどかしさ。だから、休まずに練習する。有酸素運動を多めに取り入れて、体重を落とす。そんな時は一人で黙々と地道なトレーニングをするよりも、仲間がいた方がやり易い。仲間と言っても彼らはお互いに依存していないし、自分のやるべきことを心得ているからだ。
「いい刺激になってますよ。実際に走ったら田村や原さんとかの方が早いわけだし」
 阪神を自由契約になり、千葉ロッテの育成枠として再出発した田村には後がない。青山や原には、今まで自分がしていなかったこと、自分の限界を超えたいという思いがあった。
 彼らの思いは切実だった。


 合同自主トレーニングに参加した者たちに共通するのは、今の自分を乗り越えたいという思いだったかも知れない。それは誰も助けてくれない。孤独な戦いである。
 400メートルを6本走る。―どのぐらいのタイムで走るのか?
 全力で走れば、先が続かない。ゆっくり走ってもいい。―選ぶのは自分自身だ。
 走るトレーニングをしたところで、急に野球やゴルフがうまくなるわけではない。
 では、なぜこんなにも激しいトレーニングを行うのか?
 例えば野球なら、この一球、この1イニングが結果を大きく左右するかも知れない。野球という競技は実際にフィジカルなプレーをしていない時間が多い。それはつまり、考える時間が長いということだ。考えることがどの程度の割合でプレーに影響するのかは定かではないが、まるで無関係ではないだろう。野球同様、ゴルフも考える時間は長い。低年齢化する女子ゴルフの世界だが、勝負の世界に年齢など関係ない。勝つか、負けるか。他者との勝負、自分との勝負である。1ストローク、1パットが大きく順位を変える。それで賞金の額が大きく変わるかも知れない。シード権の獲得に繋がることもあるかも知れない。「最後は気持ちっスよ」
 井川は冗談めかしてそう言う。日本式の根性論に傾倒しているわけではないが、実は毛嫌いしているわけでもない。
「ダーツだって同じですから。これで勝てる。ダブルに入れれば勝ち、あと5点入れれば勝ちって時にも、気持ちの大きい小さいが出るから」
 では、トレーニングで自分を追い込めれば、気持ちは強くなるものなのだろうか。
「んー、どうでしょうね。自分の場合は関係ないと思いますけど」
 絶妙の肩すかし。得意技である。しかし、理由はきちんとある。


「これ外したらどうしようとか考えないですよね。入るもんだと思って投げてるから。これ入れたら勝ちだなって」
 何の参考にもならない言葉だが、理屈は通っている。頭の中から否定的なイメージを取り除くこと。ポジティブ・シンキングというやつだ。
 若いアスリートたちとトレーニングする中で、井川が何かを語ったという事実はない。だが、一緒にトレーニングしていく中で、何かを感じ取って欲しいという思はある。あきらめずに続けること、どんな状況でも、可能な限り、自分という敵に挑み続けることを。
 合同トレーニングが終わりに近づいたある日、こんなことがあった。
 その日、井川の体調は万全ではなかった。一人だけなら休んでいたかも知れない。しかし、彼は姿を現した。決して無理したわけではないが、「自分が休んでいては彼らがここに来てやる意味がなくなってしまうから」と言い、走り始めたのである。
「自分はゴルフをやらないからよく分かんないですけど、スゴイですよね」
 井川が言う。何がスゴイと思ってるのだろう。
「野球選手より稼いでんじゃないですか? あの年齢で」
 なんやねん、それは。
「いやでも、あの子たち、自分より早く走るんですよ。しかも楽勝で。それってスゴくないですか? 岩田や田村とかなら分かるけど……そりゃ(ゴルフで)稼ぐだろうな、と」
 井川の言葉を読み解く鍵は、意外に多い。


 自分より早く走るから、ゴルフもうまい、という論法は乱暴だ。しかし、それは格闘技や陸上競技における強弱を判断するのと同じ、現実的な視野に立っての考えだった。最後にリングに立っている者が強い。もっともタイムの速い者や距離を出した者が最強。ゴルフのことはよく分からないが、賞金という目安がある。トレーニング中に自分より早く走られたことは「ショックですねーっ」と笑うが、それは賞金という先入観に加わって、確固たる判断基準となる。
「でも、野球とかサッカーってそうじゃない部分があるから面白い」
 最強と謳われるブラジルだって日本やフランスに負ける。メジャーリーグだって日本やメキシコに負ける。なぜか? それを語るとき、彼は実際にやっている者の視点に変わる。
 ある日、プールでのトレーニングを前に、彼は後輩とタイミングの話をしていた。
「いろいろやってるよ。ちょっと腕の角度を変えたりとか、ボールを放すタイミングを遅らせたりとか……そういうのやんない?」
 イメージなんだけどね、と彼は言った。
「具体的にどうとかじゃなくて、感覚的なもの。あっ、ちょっと真っ直ぐにタイミングが合ってるなって思ったら、同じ真っ直ぐでも2シーム投げたり、抜いてみたり」
 井川はこと野球に関しては間違いなく感覚的な人間だ。不思議なことに、彼は自分のことを過大評価しない。根拠のない自信は持たない。そうかといって自分を過小評価して、不安に駆られることもない。矛盾しているようだが、彼は自分の肌で感じたことを最優先させ、絶妙のバランスを取っている。
「結構、昔からそういうことはやってましたね。二軍の時とかでも。アメリカでも同じですよ。まだバッターがよく分からないですけど」
 前途多難か、前途洋々か。ただし、去年は「さっぱり分からない」と言っていたのだ。よく分からない、という言葉の向こう側に、井川の今季がほんの少しだけ見えたような気がする。

  

KQUEST 第九回 投禅一如
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