タクシーはマンハッタンのど真ん中を走っていた。車窓から見える風景はすでに夜の大都会に変わっていた。それは例えば、新宿や銀座にあるような眩いばかりのネオンサインの群れとは微妙に違っていた。しかし、ニューヨーク・シティー=Bright Light Big Cityである。そこには郊外の小さな町には決して存在しない派手で大きなサインボード(広告板)が、シンプルな灯りに照らされて煌々と輝いていた。それらと比べれば高層ビルから漏れてくる灯りなど、闇夜に浮かぶ星空にも匹敵しなかった。その日は週末だった。大勢の人々が外を歩いていた。誰もが目的の場所目掛けて早足で移動していた。
井川がタクシーから降り立ったのは、そんな忙しい交差点のすぐ脇だった。
「やっぱ、まだ降ってますね」
と彼は言った。昼過ぎから降り出した雨はまだ続いていた。
その夜、彼が外出したのは食事のためだった。ゆっくりとしたオフの生活の中に埋没していた当時の彼にとっては、少しだけ変化のある行動だった。
「今はほとんど体を動かしていないので、お腹もそんなには減らない。夜もあんまり食べないし」
自然に起き、自然に眠る。食べるのも胃が求めるだけ、だ。
「体重とか、ずっと変わってないですよ。一昨年ぐらいから炭水化物を夜に摂るのは控えていますけど、最初、一気に痩せて、あとはほぼそのままですね」
そう言いながら井川は、歩道から飛び出しそうになったこちらを気遣って、腕を広げた。
車……来てます、と井川は言った。彼は右腕でこちらを制し、まだ通りを渡ってはいけない、と身をもって教えてくれた。
いつだったか東京で食事していた時にも似たようなことがあった。
やっぱり東京はスゴイな、などと喜んでいる人間は、車の流れなどあまり気にしない。やっぱりニューヨークはスゴイな、などと喜んでいる人間も同じだ。普段、見ない風景を目撃すると人間の口は自然と開くらしい。口が開くと体が弛緩する。そうなると気も緩んで、何かと無警戒になってしまう。
井川の気遣いはあり難かったが、「おお、優しいやん?」などとこちらがお世辞を言うと、彼は照れ笑いすることもなく、こう言うだけだった。
「いや……普通に危ないですし」
正しいことは正しいこと。間違ったことは間違ったこと。
この際、正しいのはタイミングをきちんと見計らって通りを渡ることであり、間違っているのは、都会はスゴイな、と言いながら弛緩した体をいきなり車道に預けることだった。
「ニューヨークの運転は……ムチャクチャとは言わないけど、やっぱり都会だからガンガン割り込んできたりする」
荒い、と?
「んー、まぁでも、日本でもそういうところはありますけどね」
そう言いながら彼は笑った。彼が日本で頻繁に車を運転していた場所を考えれば、あまり深くは聞かない方が賢明だ。そんなことを書いたところで、どうせその地方の人々からお叱りを受けるだけである。
運転はともかく、と井川は言った。
「車の停め方とかは本当におかしい。それは日本じゃあり得ないこと。ちょっとでも隙間があったら、そこにねじ込んでいく感じ」
マンハッタンは駐車場代が高いので、路上駐車出来る場所を探す時には競争になる。少しでも停められるスペースがあれば、そこに停めるのが普通なのだ。停める時に前後の車にぶつけても、少しぐらいのことなら気にしない。それが大都会の流儀になっているらしい。
「ちょっとぐらい当てても気にしていないんじゃないかな? うちの駐車場だって相当怪しい。気が付いたら知らない傷がいっぱい付いている」
確かに彼の車のバンパーには細かな傷が幾つも付いていた。半年前に新車だったとは決して思えなかった。実は彼の高層アパートには、住民がいつでも気ままに止められるだけの充分なスペースがなかった。車を出す際には事前に係を呼んで出してもらわなければならない。係はパズルでもするかのように車を出し入れして、奥に停めた車を前に持ってくる時間が必要だった。
きっとそういうことをやっている内に、前後左右の車に少しだけぶつけてしまう。井川はそう言いたかったのだ。
「ある時、エンジンかけたらステレオからスペイン語の音楽が流れてきたこともあった。そんなの僕らが聴くわけない」
それがニューヨーカーの生活なのだよ、と言うと、彼は少しも笑わずに「ここにいる内は自分の車が買えないなぁ」と言った。
「球場にも近いからここを選んだけど、来年はここにいないかも知れない」
誤解のないように。念のために書いておくと、もちろんそれはヤンキースを出たい、という意味ではない。アパートを出たいという意味である。
マンハッタンのレストランに入ると、井川は一直線に自分の予約しておいた席に向かった。前に来たことあるから、と彼は言った。完全な個室ではないが、他の客からは見えない場所だった。
「トレーニングですか? こっちではやんないですね。日本に帰ってからです」
と井川。思いのほか長くアメリカにいるようだが、焦りはないのだろうか、という質問に対する答えだった。
「焦るってことはないです。リフレッシュ出来ているんで。ただ、このオフは去年と同じようにはならないと思います。去年みたいにしょっ中マスコミに出ることはないと思う」
確かに去年は異常だった。毎日毎晩、彼は新聞、TV、そしてラジオに登場しては「メジャー挑戦」をアピールしていたのだから。
「トレーニングそのものが大きく変わるとは思わないですけどね。そこら辺は添田さんと話し合って、考えながらやっていくつもりです」
食事の席にいた添田隆也トレーナーも、それには同意していた。
「僕が最初に見た頃は、とにかく今みたいな練習をしていたんじゃ、プロの世界でやっていけないよって言いました。それぐらい体力なかったですから」
今は違う、と彼は言った。
「去年もそうだったですけど、今までやってきて身についたものを、いかに維持していくのかということも大事です。まだ彼は若いけれど、さすがに高校出たての子とは違います。もうすでにしっかりとしたものがあるから、それから先の話ですね」
当たり前の話だが、井川が今年マイナーに降格したのはトレーニングの問題ではない。問題はトレーニングで培ったものをいかにして実戦に結び付けていくのか、というプロセスだった。
阪神タイガースのエースがマイナー暮らしを強いられる。そんなことをいったい誰が予想できただろうか。少なくとも、過去にアメリカに渡ってきた日本人選手の中で、これほどまでに異国の文化への順応が問題になったケースは希だろう。2007年の井川に限って言えば、彼はマウンドに立つ前の準備段階で環境の違いに適応し切れなかった。極端に調子を崩したというよりは、調子が上がらないままシーズンを終えたと言った方がいいかも知れない。
メジャー挑戦が決まった頃、「行ってみないと分からない」、「実際に投げてみないと分からない」と井川自身は言っていた。実際にアメリカに来てみると、やはり、分からないことだらけだった。
これから先のことを考えれば、と彼は言った。
「良いシーズンだったのかも知れない。こういう経験が日本にいたままで出来るとは思わないし」
プロなのだから結果がすべて、というのは百も承知だった。
「まぁもちろん、プロなんで結果を出さなきゃいけないんでね。これからが大事なんですけど、今年一年が無駄になったなんて思ってないし、結果が出ないなりにこっちのやり方も大分わかったから」
だから結果を振り返って深く長く反省し、いつまで経っても「来年は頑張ります」と言い続けることはない。そういう否定的な考えは彼の中にはないらしい。そもそも彼は後を振り返って「今年は駄目だった」などとは言わないし、そう思ってもいなかった。
「プロになってからの数年間は今と似ていたかも知れない。まぁここまで生活面での違いはなかったけれど、高校からプロに入って、まず練習についていけなかったし、今とは違う意味で『このままではやっていけないな』って思いました」
日本とアメリカで二つの新人時代を過ごした彼には、まるで共通点がないわけではない。
「まぁ、(日本での)二年目なんかはそうかも知れないですね。一軍に上げてもらったり二軍で投げたりの繰り返しだったから」
チャンスは与えてくれた。だが、結果が残らなければ容赦なく落とされた。日本でならそれは「大事に育てた」ということになる。アメリカでは単に「実力が充分ではなかった」ということだ。
「あの頃はもっとがむしゃらだったというか、今ほどいろいろは考えていなかったですけどね」
がむしゃら……。メジャーでは新人という肩書きが付くが、すでに日本でプロ野球選手として成熟してしまった今の彼には、あまり似合わない言葉だ。
しかし、それはもちろん、悪い言葉ではない。
プロのピッチャーならば洗練されたスキルを持って、自らが作り上げたプラン通りに投げるべきだ。周囲のやり方に合わせて自分の流儀を押し殺した結果、それが出来なかったのならば、誰にどんな批判をされようともやるべきことは一つしかない。がむしゃらという言葉の意味を辞書で引くと、それは明らかだ。
マンハッタンの夜、再び路上に立った井川は、不意に問いかけたこちらの質問に対し、少し意外な顔をしてこう答えた。
「ああ、いいですね。乗りましょう」
彼が「乗る」といったのはニューヨークの地下鉄のことだった。
「それがですね、まだ一回も乗ったことが無いんです」
困惑しているわけではなかったが、それに近い表情だった。ニューヨークに10ヶ月近くも住んでいるのに地下鉄に乗ったことがない。それが恥ずかしかったわけではないが、そんなこと考えたことも無かった、という感じだった。
「ここ(アパート)から球場までは車で行きますし、(地下鉄に)乗るチャンスなんて無かったから」
彼はオフの間も車で行動することが多かった。そんなに遠出をするわけではなかったが、外出=(イコール)車というのが普通のことになっていた。
「どこの駅が一番近いんですかね?」
井川が独り言のようにそう言うと、傍にいた添田隆也トレーナーが二つ返事で明快な答えを出した。
もう慣れましたから、と彼は言い、こう言った。
「(宿泊先から)ヤンキースタジアムまでだったら大丈夫です。ここまで来るのも慣れました。慣れてしまえば怖くなくなっちゃうから……」
実際、添田トレーナーと一緒に行動すると、彼がすでにニューヨークでの動き方を心得た人だと分かる。チケットの購入の仕方からゲートのくぐり方、そして、ホームの見分け方に至るまで、迷うことなくテキパキとこなしてしまうのである。
自国でならきっと簡単なことだが、英語やスペイン語の話せない日本人がアメリカに来て最初に突き当たるのは、実は日常の簡単な作業である。
地下鉄やバスに乗ることから、スーパーマーケットで買い物すること、レストランで食事を注文することまで、日本でなら普通に出来ることが普通に出来ないジレンマはあって当然だ。
それらの出来事に対するストレスは感じるし、出来るようになれば思いがけないスリルを味わうことが出来る。それこそは海外で生活する時の不思議な魅力なのである。
しかし、野球選手ほどそれらを味わい難い人種は無い。
特に通訳や世話を焼く人が近くにいればいるほど、そういう世間の常識から遠ざかってしまう。
そのせいだろうか、地下鉄の券売機の前に立った井川の表情は興味深かった。彼は慌てることも無く、スクリーンに映し出された指示に従ってメトロカードなるものを買った。
「……これだけなんですか?」
その通り。自動車社会になってしまったために鉄道システムが退化し、今では日本の方が先へ進んでしまったが、アメリカだって元鉄道大国だ。チケット購入の簡易化は基本である。
「どっちだろ?」
上り線か下り線か。
瞳を輝かせてチケット購入に成功した井川だったが、まだ彼はニューヨークの地下鉄初心者だった。
地下鉄に乗った井川は、嬉々とした表情のままで辺りの景色を眺めていた。
辺りの景色といっても地下鉄だから、車内に掲げられていた路線図や広告のことである。すべてが真新しく見えるのか、視線があちこちへとさまよっていた。
「日本でも車で移動することの方が多くなっちゃいましたしね」
地下鉄に揺られながら、井川は言った。
「東京に出て行くのでも車で行くことが多いし」
ニューヨークでの生活でも車が主役だった。その分、ニューヨークのある特定の地域での土地勘は鋭かった。
「まぁ、普段走っているところは何とか」
何とか、とは随分遠慮がちな表現である。
一旦停止、一方通行、入り組んだトンネルの入口への進入の仕方、高速道路への合流……等々。どれを取っても日本で運転している姿とさほど変わらなかった。
「まぁカーナビも付いてますし……」
大都会の真ん中で、ナビゲーションなんか何のために使うねん、と突っ込みたくなるところだが、意外と活躍していた。
「実はオールスター休みにボストンに行ったんですけど、その時は車だったし、(カーナビが)役に立ちましたよ」
当時はマイナーにいたとは言え、ヤンキースの一員がボストンで休暇を楽しんでいたなどと聞くのは驚きである。
2007年の10月現在、ニューヨークのマンハッタンでは、あまりケイ・イガワのことに気づく人間はいなかった。週末の路上でも、レストランでも彼は指を差されなかった。だが、それは全米髄一の人気球団ヤンキースの一員としては好ましい状況ではない。なぜなら、それはまだ彼が誰もが認めるような存在になっていないことを示しているからだ。
「そこに日本人でもいない限りは気づかれないです。そういうところにもあまり行ってないし」
リフレッシュ出来ている、という彼の言葉が思い出された。
「まぁでも、今はいろいろと行きたいところはあっても、銀行の手続きとか、いろんなことをしなければならないから計画を立てられない」
行きたいところ? ああ、そう言えば、最初に出会った頃に本場イングランドのサッカーをみたいと言っていたような…。
「パッと頭に浮かぶのは、ラスベガスとかかな?」
ギャンブルが大好きなわけではない。日本では見られないものを見たい、という願望からのラスベガスである。しかし、ホームページを訪れてくれる人々にとって気になるのは、その後のことである。
「いろいろと考えてますよ。同じ失敗はしないようにね」
いつもの年とは違う長いオフシーズン。弛緩した時。しかし、それは次に緊張するための貴重な球速の時間である。
「オフの間に肩を早めに作ることも一つですし、シーズン中に入ってからもそこら辺はしっかり考えてやっていきたい」
のんびりとした時間が、その一瞬だけきりっと引き締まった。
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