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●KQUEST COLUMN 2007

KQUEST 第六回 North Country Blues -2-

 

   井川がいうバーベキューの美味い店は、ロチェスターの中心を流れるジェネシー川のほとりにあった。店の前にはハーレー・ディビッドソンのチョッパーが並び、銀色のボディが夜の怪しげなライトに鈍く光っていた。店の中に入ると、バンドの生演奏が聞こえた。ロック、リズム・アンド・ブルース、ブルースと、それは次第にリズムを落としていった。
 二度目のマイナーにおける3度目の登板を翌日に控えた井川は、手慣れた様子でバーベキュー・リブとコールスロー、そして、フレンチフライを注文した。
「それは絶対に無理」
 いつでも全力で投げられないものか? と問うと、彼は薄暗い灯りの下であっさりと否定した。
「自分の場合は球種も少ないし、いつも全力で投げていたら、それに慣れられてしまう」
 それに、と彼は言葉を続けた。
「カウントが有利になれば、ボールを置きにいく必要もないから」
 しかし、いつもカウントが有利になるとは限らない。優れたピッチャーの条件は、カウントが不利になった時にどう対処できるかだ。打者が有利な条件下で一つでも多くのアウトを取り、プレッシャーのかかる場面で被害を最小限に留めるのが「ゲームを作る」ことへと繋がっていく。具体的にはボールが先行し、打者が十中八九、速球を待っているところに変化球でストライクが取れるか否か、というようなことだ。井川の場合、それはチェンジアップだった。
「チェンジアップはゲームで投げていくしかない。とにかく投げること。それしかよくなる道はないと思う」
 ただ投げ続けること―。
 それは漠然とした答えだった。
 

   井川にとっての二度目のマイナーは打たれて始まった。
 初戦は8月1日の敵地での対オタワ・リンクス戦。彼は5回を投げて9安打3失点と苦戦した。
 言い訳になっちゃいますけど、と井川はその理由を明確に答えた。
「ボルティモアに着いてすぐに監督室に呼ばれて、マイナー降格が決まったんですけど、二日休んでもいいよって言われて。……まさかマイナーに合流してからすぐに投げるとは思いもよらなかった」
 彼が最後にメジャーで登板したのは7月26日の対カンサスシティー・ロイヤルズ戦だったから、8月1日のマイナー登板までは中5日開いていた。首脳陣の言葉を鵜呑みにしてニューヨークに帰った彼は、それからゆっくりと仕切り直して登板マウンドに上がると思っていた。しかし、当然のことながらマイナーリーガーに登板日を選択する権利などない。彼らにあるのは与えられたチャンスの中で最大限に努力するだけだ。
 井川は続く6日の対バッファロー・バイソンズ戦でも、6回を投げて5安打4失点と打たれた。しかし、ここにも明確な理由があった。
 前にも言いましたけど、と井川。
「マイナーではチェンジアップが悪くても続けてサインを出してくれる。高めに大きく抜けようが、ワンバウンドになろうが今は投げています」
 メジャーで投げる機会を失ったチェンジアップだったが、マイナーでは徹底的に投げるよう求められた。しかし、一度失った感覚がそれほど簡単に戻るわけがない。正確には阪神時代から続く、長い探求の旅である。一つ投げてはとんでもないボールになり、一つ投げては打たれ、そして、一つ投げては理想に近づいていく。マイナーで絶対的な数字を残すことは大事だったが、彼にとっては数字よりも大事なことがあったのである。
 

「チェンジアップは(メジャーにいた頃よりは)良くはなって来ていますけど、ここまではまぁ……良かったり悪かったりですね」
 と井川。素朴な疑問があった。チェンジアップはともかく、二度のメジャーでの苦戦は彼に何かをもたらしたのだろうか、ということだ。
「まぁ、それは中四日の(アメリカ式ローテーションの)調整法であったり、相手(打者)のことだったり。だから、最初に対戦した時に打たれたマリナーズとかデビルレイズとかとはもう一度やってみたかった」
 しかし、今のままの状態では、もう一度やっても良いピッチングが出来るとは限らない。
「それはそうなんですけど、バッターのことはもう少し分かっているから」
 とにかく自分のベスト・ピッチングをして結果を待つというスタイルではなく、彼には自分のベスト・ピッチングをするために相手のことを知るという準備が必要だった。なぜなら、それが彼にとってはピッチングというゲームを優位に進めるための武器の一つになるからだ。
 井川の不思議なところは、そんな合理的な考えを示しながら、同時に次のような感覚的なことも平気で口にすることだった。
「逆にアスレチックスとは、最初にそこそこ投げられたから少し嫌な感じもあったんです」
 そう言えば、日本にいた頃の彼には『投げ易い』と感じる球場と『投げ難い』と感じる球場があった。それはマウンドから見せる風景、つまり視覚的な立体感覚に大きく左右されていた。
 

 日本にいた頃の話、井川は自分が投げている時、なるべくゲームそのものから離れるようにしていたという。それは彼がゲーム展開に引きずり込まれて、自分のリズムを失ってしまうのを嫌っていたからだ。
「チャンスの後にピンチありとか、その逆とか、よくあるじゃないですか」
 と井川。隅イチ(初回に1点を先制しながら、後は追加点が奪えぬ展開)。無死満塁(では点が入らない)。(選手が守備位置を)代わったところにボールが飛ぶ……等々。
 野球界には摩訶不思議なジンクスが多数ある。
 井川が迷信めいたことを信じているとは聞いたことがない。しかし、彼が意図的に迷信めいたことには関わらないようにしているのは、逆説的にそれらの偶然を否定できないからだろう。
 しかし、合理的だろうが感覚的だろうが、まずは自分のピッチングさえすればいいのではないのか? 傍観者はそう思ってしまう。
「自分はそこまでのピッチャーじゃないと思う」
 そこまでのピッチャーじゃない、とは……?
「自分の力さえ出せば抑えられるようなボールを持っていればいいけど、自分のボールはそこまでのものではないと思う。そこはやっぱり一生懸命、いろいろと考えて投げていかないと」
 消極的な発言に聞こえたが、それはもっともなことでもあった。
 我々、メディアにとっては「自分のベストを尽くせば、結果は後からついてきますから……」などと言われた方がすっきりする。しかし、現実はそう甘くない。井川のファストボールやスライダーが、それだけで打者を圧倒できるのならば、たとえチェンジアップが良くなかったとしても、メジャーでも、もう少しいいピッチングが出来たはずなのだから。
 

 8月11日の午後、ロチェスターには日本の報道陣が数人集まっていた。それは井川の予想に反することだった。前夜、彼は「明日は誰も来ないと思います」と言っていた。
「今はほとんど来ないですよ。マイナーに落ちてからの最初の登板の時とか、あとはスクラントンで投げる時だけかな。ニューヨークから近いし、車で来られる距離だから」
 日本の報道陣が取材に訪れた理由は明確だった。井川のトレードが噂されていたからだ。ヤンキースが移籍交渉を行っていた相手はサンディエゴ・パドレスだった。奇しくも前日の8月10日、パドレスはベテラン左腕のデイビッド・ウェルズを自由契約にしたばかりだった。ウェルズは期待されながら不調のために戦力外となっていた。同日、先発二番手のクリス・ヤングが故障者リストから復活していたが、ペナントレースを戦う彼らにとっては充分ではなかった。
 メジャーリーグには昔からこんな格言がある。
“Never say enough pitching(投手力が充分だなんて絶対に言えない)”
 毎年、数多くのピッチャーがFAマーケットに並び、それなりの値段を付けられて有力球団に買われていく。アスレチックスやツインズのようにファーム組織をうまく機能させて、生え抜き選手で先発ローテーションを構築している球団でさえ、一人や二人はFAのピッチャーがいるのが普通だ。
 市場で求められているのはロジャー・クレメンス(ヤンキース)やジョッシュ・ベケット(レッドソックス)のような圧倒的なエース級投手だけではない。1試合2点ぐらい取られてもいい。ただし、6回以上は投げて欲しい。そんな切実で現実的な希望を持った球団は決して少なくないのである。
 

 ヤンキースとパドレスとの間で移籍交渉が行われていた、というのは紛れもない事実だった。普段なら公にはされない交渉と中の話が明るみに出たのは、ヤンキースが井川をウェイバー公示したからだった。
 メジャーリーグのルールでは、7月31日まではノンウェイバー・トレード期限と言い、当該選手をウェイバーにかける必要がない。ウェイバーとはその球団が選手の保有権を放棄することを意味していたが、期限を過ぎていた井川の場合は移籍交渉を前提としたウェイバー公示をしなければならなかった。そして、週末を除く72時間以内に交渉がまとまらなければ、ルール上、井川は自由契約になるのではなく、それまで保有権を所持していたヤンキースに戻ることになっていた。
 この移籍交渉劇が公になった際、ナショナルリーグに行った方が井川にとってはいいのではないか、という意見が一部メディアにはあった。
 ニューヨークよりメディアからのプレッシャーが少ないサンディエゴ、ヤンキースタジアムよりもピッチャーに有利と言われるPETCOフィールド、指名打者制度のないナショナルリーグ……等々。しかし、それらはすべて希望的観測に過ぎなかった。
 そういう話をすると、井川は大して興味がなさそうにこう言うだけだった。
「まだ何にも決まってないですからね。自分に決められることじゃないし」
 本格的な夏が始まった夜、アメリカのどこかで移籍交渉が行われている中、井川は周囲の注目を集めながら、マイナーのマウンドに上がった。
 

 ロチェスター・レッドウィングスは、ヤンキースとの対戦でインターナショナルリーグ防御率1位のケビン・スローイーをマウンドに送った。
 チーム防御率リーグ12位(全14チーム)のレッドウィングスにあって、スローイーは特別な存在だった。
 彼は米野球専門誌でミネソタ・ツインズの有望株ランキング3位に挙げられる実力者であり、メジャー昇格を目前に控えていた。
 もっとも、井川にとって大事なのは相手投手ではなく、打線の方だった。
 この日のラインアップに名を連ねていた有望株と言えば、前述の専門誌の有望株ランキングで13位に入っていたリードオフマンのディナード・スパーンのみである。しかし、その後を打つマット・トルバートや3番ダレル・マクドナルド、4番ギャレット・ジョーンズは、リーグの打率や打点ランキングの上位に揃って顔を見せていた。さらにマクドナルドはリーグの盗塁王争いをするほどの俊足選手で、1番のスパーンと共に足攻を仕掛けてくる可能性もあった。
 それらの情報を井川は実戦での対決から感じ取っていた。
「6月(3日 7回6安打3失点―自責点2)に一回対戦していたので、何人か……全員じゃないけど覚えている選手もいました」
 と井川。彼の滑り出しは順調だった。
 2番トルバートに初ヒットは許したが、打者4人に対してすべてストライクを先行させ、無失点に抑えた。連続ヒットを許した2回も、後続の打者を優位なカウントに立たせることなく、ダブルプレーでピンチを凌いだ。
 

 3回までに井川は、レッドウィングス打線を3安打無失点に抑えた。その内容も素晴らしかった。アウト9個の内、内野ゴロがダブルプレーを含めて4個(遊撃手のエラーがなければ5個だった)もあった。
「まぁ、ボールが低めに行ってましたしね。自分のペースで投げられたんじゃないですか」
 と試合後の井川。しかし、彼は4回に先制点を許してしまう。
 この回、先頭の4番ジョーンズにヒットを許すと、続く5番ルー・フォードに左中間を破るタイムリー二塁打を打たれてしまったのである。
「高めに行っちゃいました。力入れて投げたんですけど、何だかタイミングも合っていましたね」
 フォードは前回対戦時にはロチェスターにおらず、メジャーリーグ、すなわちミネソタ・ツインズにいた選手だった。変化球には弱いが、速球には滅法強かった。結局、井川はこの回、もう一本タイムリーヒットを打たれて2失点。味方が1点しか取れなかったことで彼は敗戦投手となった。
 この日、彼が残した数字は、一球毎に状況が変わるゲームの興味深い部分を露出させていた。
 ストライクが先行し、カウントが有利になった場面では、井川はレッドウィング打線を7打数無安打4奪三振に抑えた。対照的にボールが先行し、カウントが不利になった場面では12打数6安打と半分の確率で打たれた。また、1ストライク1ボールや2ストライク2ボールといった並行カウントでも3打数2安打と打たれている。それは彼のマイナーでの通算成績(カウント優位で.160 同不利で.459)をそのまま反映した数字でもあった。
 カウントが有利な場面から投手にいい結果が残るのは当たり前のことかも知れない。しかし、メジャーでの通算成績(カウント優位で.296 同不利で.319)を考えれば、その問題に対処する必要があるのは明らかだった。
 

「こうなったら、なるべく多くのものを掴んでおきたい。今の時間を無駄にしないように、少しでも多くのことを掴みたい」
 ロチェスターでの登板を終えた翌日、彼は力強くそう言った。
 日本の報道陣からパドレス移籍について尋ねられると、彼は「何も聞いてないですし、何も言えない」と語っていた。しかし、すでに代理人やチーム関係者と頻繁に連絡を取り合って、その可能性の低さを知っていたのだろう。日曜日の夜には「まぁ、たぶんないですよ」とも漏らしていた。
 彼の言った通り、移籍交渉は月曜日になって暗礁に乗り上げ、パドレスへの移籍は実現しなかった。メディアは去り、井川だけがバッファローに残った。
「今年はもう仕方がない。メジャーで結果が出せればいいけど、そこら辺は長い目で見ているし気長に考えています。それこそ、来年一年かかってもいいぐらいの気持ちで」
 冗談なのか、本気なのか。井川はヤンキース・ファンが聞いたら卒倒するようなことを言って、口元で笑った。
 マイナーにいるからというわけではないが、スクラントンのユニフォームを着た井川は、ニューヨークにいるよりもずっとリラックスして見えた。チームメイトも彼に頻繁に接触し、ここでは書けないような英語やスペイン語がダッグアウトの中に飛び交っていた。
「あんなのばっかりです。コーチがああいう言葉を大声で言うぐらいだし」
 と井川。しかし、彼自身も“あまりよくない日本語”を教え、たまに訪れた日本のメディアに向かって言わせたりしている。
「さすがに上(メジャー)ではそういうことはなかった……っていうか、あんまり誰かと仲良くなったと言うこともなかったし」
 井川がニューヨークでヤンキース投手陣とふざけ合う。
 北国バッファローで、そんな日が来るのを想像するのは難しかった。
 

 バッファローのダウンタウンからナイアガラの滝までは、車で30分程度の距離だった。午前中にウェートトレーニングを終えた井川は、昼食を摂る前にレンタカーに飛び乗った。
「まぁ、せっかくですから。こういうところにいつも来られるわけじゃありませんしね。自分だけ楽しんで、嫁には悪いですけど」
 家族に対する気遣いはともかく、確かにマイナーにでもいなければ、シーズン中に彼がナイアガラの滝に来るようなことはなかっただろう。そのせいだろうか、マイナーで生活している井川には、たとえば阪神時代に感じられたような他者を寄せ付けない緊張感は存在しなかった。その代わりにあったのは、二十代後半の普通の青年の姿である。
 滝を見下ろす高層ビル10階はあろうかという高台に立つと、井川は「これはちょっと嫌な感じかも(笑)」と言いながら後ずさりした。遊覧船に乗って水しぶきを浴びると、「うわーっ、何だ、これーっ!」と嬌声を上げた。
 そんな彼の表情が野球選手に戻ったのは、遊覧船に乗る直前、彼の存在にきがついた日本人観光客から「一緒に写真を撮ってくれませんか?」と言われた時だけだった。その瞬間だけ、彼は野球選手に戻ったようだった。
 野球選手の井川慶……。ニューヨーク・ヤンキースのケイ・イガワ。戸惑いの中で苦闘する背番号29。今年、我々は彼のマウンド上での躍動感溢れる豪快なピッチングフォームを見ただろうか。打者を思い通りに打ち取った時のあのガッツポーズを見ただろうか……。
 巨大な滝を見上げながら、思わず訊いた。
 メジャーで通用しないと思ったことはないのか、と。
「それはないですね。そんな風に考えたことは一度もない」
 彼はきっぱりとそう言った。
 メジャーリーグに居続ければ来ることのなかった北国で、燃え尽きることのない闘志が静かに揺れていた。
 

(文中敬称略)

 

 

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