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●KQUEST COLUMN 2007

KQUEST 第六回 North Country Blues -1-

 

   ニューヨーク州ロチェスターは、五大湖の一つオンタリオ湖近くにある北部の田舎町である。湖の対岸はカナダであり、冬の間は気候が厳しいことでよく知られた地域だ。町には世界的に有名なフィルム・メイカーやコピー機の本社があり、人口約21万人の小都市を意外なほど潤わせている。
 8月11日、スクラントン・ウィルクスバー・ヤンキースを乗せたバスがロチェスターに到着したのは、午後2時すぎのことだった。
 彼らが所属するAAA級本拠地のスクラントン(ペンシルバニア州)からは車で3時間かかった。飛行機なら1時間程度の距離だが、マイナーリーガーには交通手段の選択の余地などない。
「えっ、自分っすか? 今、ホテルに着いたところですけど……」
 と井川。気のせいか、その声は少し眠たそうだった。
「じゃ、一緒に球場に行きましょうか?」
 一時間後にホテルに迎えに行くと、彼は間もなくロビーに姿を現した。AAA級ヤンキースのチャーターバスはすでに球場に向かった後だった。
「明日、登板なので自分は遅くてもいいんですよ。どうせ今日は(練習でも)投げないし」
 井川がロチェスターを訪問したのは初めてのことではなかった。
 彼が最初にここを訪れたのは、6月に初のマイナー降格を喫した時のことである。
 

  「前に来た時はスクラントンから自分たちで車を運転してきたんです」
 まるで遠い昔のことのように、井川は話し始めた。
「あの時、マイナー降格になってニューヨークから自分の車を運転してきたんですけど、最初の試合がロチェスターだったんです。だからロチェスターに行って、今回みたいにその後バッファローに行って、それからスクラントンに帰りました」
 予算の関係からだろうか、スクラントンがロチェスターと次の遠征地バッファローへ続けて訪問することは一つのパターンとなっていた。その旅程で一番遠いバッファローまでは約5時間。往復10時間の車の旅を彼はすでに経験していたわけだ。
「(ロチェスターからバッファローは)一時間ちょっとじゃないですか? 自分は明日投げることになっていますけど、投げた後にすぐに移動するはずですよ」
 ホテルから球場までのわずか数分の道のりの中で、彼はそう言った。
「バーベキューの美味しい店があるんです。前に来た時に見つけたんですけど、ホテルのすぐ近くです。今日の試合が終わったら行きましょう」
 メジャーに居続ければ、本来は知ることのなかった町、知ることのなかったレストランについて語る井川の口調は、いつもと変らず淡々としていた。
「チャンスがあったら(メジャーリーグの)30球団の本拠地を全部、行きたいなと思っていたけど、まさかああいう小さな町まで行くとは」
 そう言いながら井川は笑っていた。しかし、もちろん、それは本望ではない出来事だった。
 

「今日はベンチには入らないですね。自分は明日登板するんで、ネット裏でスピードガン持ってると思いますよ」
 井川はそう言った。それはマイナーリーガーの日課のようなものだった。味方投手のピッチング・チャートや球速の計測は、その日登板しない先発投手の仕事の一つなのである。 「日本にいた頃も二軍ではやっていましたから」
 阪神タイガースの元エースが、本格的なベースボール・シーズン真っ只中の8月に、ヤンキースのマイナー球団で投げているという事実……。
 シーズンが始まった頃、いったいどれほどの人がそれを予測できただろうか。
 よく誤解されていることだが、メジャー契約とはその出場選手登録である40マン・ロースターに入ることであり、ずっとメジャーでプレーできる保障をされた契約ではない。
 そもそもそんな契約は存在しない。
 メジャーのベンチ入り登録選手25人に残るには、それなりの結果を残していなければならない。たとえメジャー契約を交わした者でも、結果が伴わなければ年俸調停権が取れるまでは(ある一定の回数に限って)マイナーに降ろすことが出来る。それは彼らがメジャーリーグの25人から外しても、保有権の放棄(ウェイバー)に繋がらない選手だからだ。
「うん、まぁ、結果が出なかったんで、仕方ないことだとは思っています」  と井川。昨年12月に交わした契約によって、彼は米球界移籍後4年目の2010年まで、事実上、何度でもマイナーに落とされる運命にあった。
 もちろん、結果を残さなければ、である。
 

 アメリカで普通にドラフトされてきた選手は、メジャーに定着する前、ほぼ全員、その時のメジャー球団のチーム事情によって、何度もマイナー降格を命じられている。一年間に三回と定められてはいるものの、年俸調停権やフリーエージェント権を獲得したベテラン選手はルールによって守られており、それらを持たない若手や中堅の選手はベテラン選手の犠牲になることが多い。
 球団首脳や選手たちは、それをNumber’s Gameと呼ぶ。
 数字のゲーム。それは文字通り、選手それぞれの契約の違いや立場を考慮に入れた、出場選手登録枠の人数の調整だった。
 日本人メジャーリーガーは、本来ここに加わらない実力を持っているとされてきた。日本のプロ野球はレベルが高いのだから、開幕からメジャーに定着したまま、キャリアを終えるまでメジャーにいるはずだ、という大いなる幻想である。
 しかし、すべては結果次第なのだ。
 小宮山悟(元メッツ)、中村紀洋(元ドジャース)、新庄剛志(元メッツ、ジャイアンツ)といった選手たちは、そんな辛酸を舐めた後に、日本へと帰っていった。ナンバーズゲームに負けずに、しぶとくアメリカに残ったのは、マイナーからスタートして這い上がった大家友和(元ブルージェイズ)やマック鈴木(元ロイヤルズ)、そして、田口壮(カージナルス)だけである。
 結果を残したい、と語っていた通り、6月にマイナーへ降格した時、井川はAAA級スクラントン・ヤンキースで2勝2敗、防御率2.88という好成績を収めた。彼は自分流の調整法にこだわり、自分流のピッチングを貫いた結果、再びメジャーに戻ってきたのである。
 昇格後の初登板となった対ジャイアンツ戦では、好投しながらも勝利投手の権利を得ることが出来なかった。しかし、井川のピッチングが周囲から評価されたのは、その1試合だけだった。
 

 井川はメジャー復帰2試合目、つまり、6月30日の対アスレチックス戦で6.1回を投げたが、3本のホームランを含む5安打4失点と打たれてメジャー二敗目を喫した。続く7月5日の対ツインズ戦でも5回を投げて7安打5失点。その後も彼は苦戦し続けた。結局、6試合の先発登板で彼の防御率は6点台後半から下がる気配すら見えず、先発投手難に泣いていたヤンキース首脳陣を満足させることは出来なかった。
「打たれた理由ですか? それはもう、単純に自分のピッチングになっていなかったから」
 打たれた理由=マイナー降格の理由を、井川はそう語った。
「チェンジアップが全然使えなかった。良かったのはジャイアンツ戦だけ。結局、真っ直ぐとスライダーだけでやり繰りしなくちゃならなかった」
 彼のチェンジアップが機能しなくなったのは、今に始まったことではなかった。彼がリーグMVPや沢村賞など、賞を総なめにした2003年以降、彼のピッチング・スタイルは微妙に変化した。速球とチェンジアップのコンビネーションは影を潜め、代わって速球とスライダーのコンビネーションが目立ってきた。
 チェンジアップの使用頻度が下がった理由は、極めて単純な悪循環だった。良くなかったら使えない。使わないから良くならない。
 その問題は、実はメジャーに持ち越されていたのだ。
 

 ヤンキースの正捕手ホルヘイ・ポサダの配球は、実はメジャー流というよりは日本流に近かった。
「チェンジアップが良くなかったら、やっぱりサインも出ない。それはやっぱりメジャーでは結果を出さなきゃならないし、無難な方、無難な方へと行くからでしょう」
 2003年以降、「今イチだった」チェンジアップをなるべく省いた日本での配球が、メジャーでも繰り返されたのだ。
「(チェンジアップの)変化もそうなんですけど、コントロールできていなかった。やっぱり、二種類ではキツイ。それじゃピッチングにならない」
 緩急をつけるピッチングが井川の持ち味だったはずだが、“緩”がなくなってしまえば、あとは“急”だけである。日本では何とかゲームを作れた速球とスライダーのコンビネーションは、メジャーでは通用しなかった。それは打者の目先を変えるスライダーが彼の速球を活かせず、打者を抑えるほどの威力もなかったからだ。
「カウントが悪くなるとチェンジアップは投げられない。だから、フォアボールを出すよりはいいかと思って真っ直ぐを投げたり、スライダーを投げたりしたけど、置きにいっているから、やっぱり打たれてしまう」
 置きにいく、という表現は、実はアメリカのベースボールにはない。
 

 置きにいく、という表現はアメリカにはないが、たとえば6月30日の対アスレチックス戦で4失点した後、ヤンキースのロン・ギドリー投手コーチはこう言っている。
「『OK、それじゃ、スライダーを投げてみるか、とか、チェンジアップを投げてみるか』なんていうことはしてはならないのです。それらの球を投げる時には、確信がなくてはならない」
 Convictionを「意図」と訳してもいいかも知れない。
 それらが同じ意味を持っているのは、その試合で井川が許した三本のホームランを見れば分かる。
 一本目、ジェイソン・ケンドール(現カブス)との対戦は、1ストライク2ボールからの3球目だった。二本目、シャノン・スチュワートとの対戦は、1ストライク3ボールからの4球目だった。
 いずれもボールが先行し、カウントが不利になった場面での一球を痛打されたわけだが、そこに意図があったとすれば、それは「ストライクを取りにいくこと」のみだった。
 ギドリー投手コーチの言うConvictionとは少しニュアンスが違う。
「今、考えると、自分で自分を追い込んでいたのかな、と思う」
 井川はそう言った。意外な言葉だった。
 たとえ彼自身が考え出したものではなかったとはいえ、かつて、このホームページで”Iron Nurves(鉄の神経)”などと表現されていた彼のイメージからは程遠い言葉だった。
 

 自分を追い込んでいた、という言葉は意外だったが、それはゲーム中のピッチャーが普通に感じる投手心理の一つだった。
「カウントが悪くなって、フォアボールを出しちゃいけないとか、カウントを不利にしたくないとか思って投げるとプレッシャーがかかるし、力んでしまう」
 だから、置きにいってしまう。ストライクを取りにいってしまう。
 理屈は理解できるが、メジャーではそのパターンで打たれることが多すぎた。
 マイナー再降格までの井川の成績は、それを如実に表していた。
 メジャーにおける彼の得点圏被打率、つまり、ランナーを二塁や三塁に置いた時の対戦打者の打率は.346もあった。先頭打者被打率(.177)や、走者なし時の被打率(.285)とは比較できないぐらい、メジャーにいた頃の彼はピンチに弱かったわけだ。
 それはマイナーでの得点圏被打率(.245)が、同先頭打者被打率(.271)、同走者なし時の被打率(.282)よりも遥かに低いことと対照的だった。
 阪神時代から井川を見てきた人なら、メジャーよりもマイナー時代の彼の方が、縦縞のユニフォームを着て「エース」と呼ばれていた頃のイメージに近いと感じるはずだ。
 日本にいた頃、彼はピンチになると、突然、力を入れたピッチングを見せることがあった。普段、力を抜いていたわけではないが、ここ一番の爆発力の違いこそは、彼を特別なピッチャーにしていたのだ。
 問題なのは、そんな粘り強いピッチングが、メジャーリーグではほとんど出来ていないという、いささかショッキングな事実だった。
 

 ピッチャーがカウントを悪くして、自らにプレッシャーをかけるのは、別段、不思議なことではない。
「ストライクをとらなければならない」と思うのは自然なことだし、力んでしまうのも当然だ。しかし、それを「普通のことだから」と放置しておいては、コントロールが飛躍的に良くならない限りは、永遠にメジャーでは通用しないことになってしまう。
「これ以上、コントロールが良くなるとは思えない」
 ではいったい、彼はどうするつもりなのだろうか。
「とにかく……投げ続けることですね。投げ続けないと良くならないから」
 コントロールが良くならないと思っている彼が、チェンジアップは投げ続けないと良くならない、と言う矛盾。しかし、ヒントはあった。
「あそこで練習している彼…投げている選手、いるじゃないですか。彼はコントロールが凄いんです。特にピンチになった時のコントロールがね」
 あそこで練習している彼、とはブルペンで投球練習をしていたイアン・ケネディーのことだった。2006年のドラフト1位でヤンキースに入団したケネディーは、米野球専門誌が選ぶ同球団のプロスペクト(有望株)・リストの5位に入っていた。未来のエース候補という評価ではなかったが、「いつかメジャーで先発の4、5番手には入る堅実なコントロール・ピッチャー」という評価だった。
「ピンチになった時にしっかりとコントロールする。それは自分がやらなきゃいけないことなんです」
 8月上旬、首位レッドソックスに詰め寄ったヤンキースを救ったのは、彼らが得意な大枚を叩いての緊急トレードではなく、フィル・ヒューズやジョバ・チャンバーレインといったファーム生え抜きの選手たちだった。
 一方、その中にいるはずの井川は、再びマイナーで雌伏の時を迎えていた。
 

 両チームの打撃練習が終わり、誰もいなくなった外野の芝の上で、井川は一人、走り続けていた。
 タンパ、ニューヨーク、サン・フランシスコ、そして、ロチェスター……。いったい何度、同じ光景を目撃するのだろう。登板日だろうがなかろうが、井川はいつもそうやって、長い間、フィールドの上にいることが多かった。
 日本にいた頃、日本の練習を「長い」と言っていた井川が、練習時間の短いアメリカに来て、日本流に立ち戻ったのは皮肉な話だった。
「まぁ、日本で長年それでやってきたから、急にそれを変えるのは難しいってことなんじゃないですかね」
 球場へと向かう車の中で、彼が他人事のようにそう言っていたのを思い出す。
「マッサージとかも日本だったら自分が好きなだけ受けられたし、そういう面ではとても恵まれていたと思う。だから、来年についてはいろいろと考えていますよ。今のままで何もしなかったら、また来年も同じ失敗をすると思う」
 ふと気がつくと、井川がマウンドのすぐ横に立っていた。彼は両手でマウンドの高さを示し、首を傾げ、こちらに何事かアピールしていた。
「あのマウンド、あり得ないですよ。投げる時に足を踏み出すと、高すぎるからガクッてなってしまう」
 ダッグアウトに戻ってきた井川は、そう言って身体をつんのめらせた。
「あんなの、ここだけ。なぜかホームチームの投手成績はいいらしいんですけどね(笑)」
 北国ロチェスター、美味いバーベキュー店、そして、癖のあるマウンド……。
 そんなマイナーの風景を、井川が淡々と語っている不思議。
 8月にしては涼しい午後、一人の日本人マイナーリーガーが、登板前日を迎えていた。
 

(次号に続く)

 

  

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