ジャイアンツの初ヒットは、井川がボンズを打ち取った直後に生まれた。
5番のベンジー・モリーナは、アナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)の一員として、2003年のワールドシリーズ優勝に貢献したことのあるベテラン捕手だった。
皮肉なことに、彼が同シリーズで対戦した相手はボンズ率いるジャイアンツだった。
そんなモリーナと井川の対決は、時速91マイルの速球で始まった。
開幕してからの二ヶ月間、井川が抱えていた問題の一つは、ストライクが欲しい時に投げる「置きにいったボール」を痛打されることだった。
モリーナへの最初の二球がボールになった時、その「ボールを置きにいく」場面が訪れた。ストライクの欲しい場面だ。
しかし、三球目に井川が投じたのは、渾身の力を込めた時速91マイルの速球だった。
自分が覚えている限りでは、と井川は後に言っている。
「置きにいった球って言っても、この試合では二球ぐらいしかなかったですよ。打たれた球は全部、それなりに力を入れて投げていたし」
次の二球も、それぞれ91マイルと90マイルを計時した。
最後は89マイルの速球をセンター前に弾き返されたが、「力で押す」という井川のピッチングはさらに続いた。
初ヒットを許したものの、井川はわずか5球で後続から連続アウトを奪った。そこまでの2イニングで投球数は25球だった。
そして、その全体の68%の17球がストライクだった。
ストライクさえ先行すれば、押すのも引くのも自由自在だった。そして、それは井川らしさを、さらに加速させた。
3回裏のジャイアンツの攻撃は、8番オマール・ビスケルからだった。
ビスケルはメジャー屈指のディフェンシブ・ショートストップと呼ばれている選手だった。元々、守備に重点が起これている遊撃手に、どうしてわざわざ「守備的」などという言葉を付けるようになったのかというと、それは近年、ヤンキースのデレク・ジーターのような「攻撃的」な遊撃手が、何人も続けて出現したからだった。
ジーターはかつて、オフェンシブ・ショートストップ(攻撃的遊撃手)・トリオの一人と呼ばれていた。しかし、それは他の二人、つまり、アレックス・ロドリゲスが三塁転向、ノーマー・ガルシアパーラー(現ロサンゼルス・ドジャース)が一塁に転向したことで完全に解体された。
そして、彼らの派手な活躍の陰に隠れてきたのが、当時インディアンズにいたビスケルだった。
ビスケルは自分の体の右側に飛んだ打球を素手で捕球してそのまま一塁へ投げるなど、時折、トリッキーなプレーを披露することで知られている。
昨季までに彼が記録した通算11回のゴールドグローブ賞獲得は、殿堂入り遊撃手オジー・スミス(元カージナルス)の12回に次ぐ回数だ。
ただし、守備の職人的なビスケルがメジャーで19年も生き残っているのは、ディフェンシブと呼ばれている彼でもオフェンス面での貢献度が高いからだ。彼は昨年までのキャリア18年間で通算2443試合に出場し、通算2472本ものヒットを記録している。今季は2割台前半の打率に留まっているが、通算打率は2割7分台を越えている。
そんなビスケルのことを、井川はよく知らなかった。
ビスケルだけではない。井川はジャイアンツの選手の名を、ボンズ以外はほとんど聞いたことがなかった。
「それはどうしようもないことです。初めて対戦する選手のことがさっぱり分からないというのは……。もちろん、ビデオとかは見ますけど、それはあくまでビデオだから」
井川は力のあるファストボールを投げ込んで、ビスケルに二球連続ファウルを打たせた。こうなると彼の持ち味が充分に出る。三球目のスライダーは外れたが、一球ファウルを挟んだ5球目、再びスライダーがアウトサイドへと決まった。バットを当てにいったビスケルのバットは空を切った。
9番投手のマット・ケインにも同じような攻めで空振り三振。1番ロバーツとの二度目の対戦では初球を内野安打にされたが、井川は2番ウィンも手玉に取った。
初球ボールのあと、彼はファストボールとスライダーを交互に4球投げた。
最高時速92マイル。最低時速は82マイルだったから、速度差は10マイルである。この緩急織り交ぜたコンビネーションに、ウィンのバットは二度も空を切った。
3回2安打無失点、球数41球。2回に3点を先行したことで、ゲーム序盤は完全に井川とヤンキースのペースで進んだ。
4回の先頭打者のレイ・ダームは35歳のベテラン選手だった。若かりし頃には俊足の二塁手として知られていたが、昨季はキャリア最高の26本塁打、93打点、長打率.538といずれもキャリア最高成績を残して意外なパワーを発揮。ジャイアンツのクリーンアップに定着した。
そのダームに対して、井川は初球のチェンジアップ以外はすべて速球で押した。結果的に二球目のファウル以外はすべてボールとなり、カウントは1ストライク3ボールとなった。再び「球を置きにいく」場面が訪れた。
しかし、井川は躊躇しなかった。
彼が投げた5球目の速球は、この日最速の時速93マイルを計時した。その一球はボールになったが、それは力強い一球だった。
ダームを四球で出しても、井川は別段慌てる様子もなく、マウンド上で帽子をかぶり直すだけだった。
髪を耳元にかき上げる仕草も、いつもと変らなかった。
ただし、先頭打者に無条件で塁を与えたのは、マイナー降格前の井川のピッチングを思い出させる嫌な展開だった。
しかも、次のバッターは、この日、二度目の対戦となるボンズだった。
井川はここで第一打席とは違う攻めをした。
彼は初球から変化球を続けた。ボンズはあっけなくそれらを見逃し、2ストライクと追い込まれた。
ヤンキースのバッテリーは、この場面で三球勝負に出た。
ボンズと2ストライク・ナッシングと追い込んで、キャッチャーのポサダは外へと構えた。しかし、井川の投げた時速92マイルの速球は、真ん中高目へ浮き上がった。
切れのあるボール、伸びのある速球に、ボンズのバットは空を切った。空振りの三振である。
敵地AT&Tパークまで詰め掛けた、熱狂的なヤンキース・ファンから拍手喝采が起こった。しかし、まだ1アウトである。ランナーは一塁にいたままであり、ジャイアンツ唯一のヒットを放ったモリーナに打順が回った。
井川はその初球に、第一打席同様、またしても速球勝負を挑んだ。
それは囮だった。
二球目はチェンジアップだった。再び速度差10マイル。完全にバランスを失ったモリーナは、それでもバットの芯で捉えたが、それは力のないライトフライに終わった。続くフェリーも外野フライに打ち取った井川は、威風堂々とマウンドを降り、ダッグアウトへと歩を進めた。
マイナーからメジャーへ復帰したぐらいで騒ぐことはないではないか。
チームメイトに迎えられた彼の姿からは、そんなメッセージを発信されているようだった。
井川が勝利投手の権利を得るまで、あと1イニングだけだった。
メジャー屈指のスラッガー、ボンズから空振りの三振をとったことについて、井川は後になって、顔の表情一つ変えずにこう言っている。
「たまたまですよ」
彼は謙遜していたわけではなかった。
「アスレチックスのチャベスでしたっけ? 4月の試合でホームラン打たれたでしょう? あれと同じなんですよ。外を狙ったのに力んでいたから高めにいった。チャベスはそれを打ったけど、たまたま今度はボンズが空振りしてくれた。それだけのことですよ」
結果を変えたのは、打者の調子だったのか、それとも投手の調子だったのだろうか。
「あの頃に比べれば調子が上がっているのは確かです。そりゃ、マイナーでしっかり自分の調整法でやらせてもらったんだし、良くならないと」
4回を終わった時点の井川の投球内容は、2安打5奪三振1四球と安定していた。打者12人中、実に10人までがカウントを有利か、イーブンな状態で最後の一球を投げるに至っていた。初球ストライクも9人。フルカウントはまだ一つもなかった。
5回表に四球と連打で2点を追加したヤンキースは、完全な勝ちパターンでサンフランシスコでの交流戦初戦の中盤を迎えていた。
ピンチらしいピンチもないまま、井川は5回裏のマウンドに上がった。
その回、ジャイアンツの打順は7番のケビン・フランドセンから始まった。
地元サンノゼの高校時代から、野球とフットボールに二刀流選手として有名だったフランドセンは、地元の州立大学に進学して野球に専念。同大学新記録となる通算246安打を放って、2004年のドラフト12位でジャイアンツに入団した新鋭だった。
井川攻略は簡単ではないと悟ったのか、フランドセンは初球をファウルにした後の2球目にセーフティー・バントを試みた。
何が何でも出塁しよう。
そんな気概が彼からは感じられた。塁にさえ出れば何かが起きる。ヤンキースが相手だろうが、好調の投手が相手だろうが、とにかく塁にさえ出てしまえば、何かを仕掛けられる。
そんな気迫が実ったのか、フランドセンは3球目の速球をレフト線へと弾き返した。二塁打である。ジャイアンツがスコアリング・ポジションに走者を進めたのは、それが初めてだった。
第一打席で井川の速球とスライダーのコンビネーションに翻弄された8番ビスケルは、しかし、二度目の対戦では難しい球にはあえて手を出さず、ストライクゾーンを絞って打てる球だけを持った。
一球、二球とボールになって、速球を待つカウントとなった。5対0と負けている場面だから、日本ならば当然見てくる場面だ。しかし、3ボールならともかく、2ボールなら速球に狙いを張りやすいカウントだ。
好球必打。ビスケルは井川が投げた真ん中よりの速球をレフト前にはじき返した。
井川は2ボール・ナッシングという「球を置きにいく」カウントで、またしても渾身の力を込めて速球を投げた。コースが甘かったことで、それはタイムリーヒットとなった。速球の勢いに押されて、打球は少し詰まっていたが、それをレフト前まで弾き返す思い切りのよさが功を奏したのだ。
代打ルイス・フィゲロアも強行してきた。送りバントをしたところで、まだ4点差あるのだ。走者をスコアリング・ポジションに進めただけでは、4点差を追う苦しい展開は本質的に変らなかった。結果は外野フライだったが、ジャイアンツの攻めは理に適っていた。
打順は1番ロバーツに返った。井川はここでも速球を投げて、ロバーツをセンターフライに打ち取った。2アウト。あと1アウトで勝利投手の権利が手に入るところだった。
井川の速球が制球力を失ったのは、2死1塁、2番のウィンを迎えた場面だった。簡単に速球を見切られると、チェンジアップの緩急の効果も少なくなる。ウィンに打たれた二塁打は質の高いチェンジアップだったが、それは内野手の頭を超えるには充分な当たりだった。
2死1、2塁となって、井川は3番ダームを迎えた。
ここでも井川の速球の制球力は失われたままだった。さしたる格闘もないまま、井川は二打席連続でダームを歩かせた。2死満塁である。
メジャーでは珍しい女性アナウンスが、場内に響き渡った。
“Number Twenty-Five….Barrryyy Booonds!”
ボンズとのこの夜、三度目の対決は、井川のメジャー復帰第一戦のハイライトとなった。
「ボンズが真っ直ぐを待っているのは分かっていたんです。ホームラン打ちたいんだろうな。真っ直ぐを待ちたいんだろうなっていうのは、試合前から分かっていたことでした」
最初の二打席で、井川はボンズに対して速球とスライダーを3球ずつ投げた。
最初は速球が見せ球でスライダーが勝負球(セカンドゴロ)、二度目はスライダーが見せ球で、速球が勝負球(空振り三振)だった。
2打席連続で凡退に打ち取っていたものの、速球の制球力を失っていた井川にとって、それは苦しい場面だった。
速球だけではなく、スライダーもボールになり、1ストライク3ボールとなって、井川には投げる球がなくなった。
スライダーを置きにいくのは危険だった。チェンジアップを左打者に投げるほど、ポサダとはコミュニケーションが取れているかどうか疑問だった。
ここまで唯一のストライクはファウルを取った3球目だった。それは時速91マイルの速球だった。バッテリーが考えていたことは一つだった。
「まぁ、中途半端に投げて打たれるんだったら、思いっきり腕を振ってフォアボールでもいいかなって。その方が悔いは残らないし」
と井川。彼が5球目に投げ下ろした時速93マイルの速球を、ボンズは待ち望んでいたように強振した。それはファウルとなってフルカウントとなった。
運命の6球目は、時速90マイルを超えた。
しかし、それは明らかなボールだった。
押し出しの四球で5対2となった。ここでベンチからジョー・トーレ監督が飛び出した。異例とも言える早期のピッチャー交代だった。
井川は勝利投手の権利を手にすることなく、マウンドを降りた。
「イニングの最後まで投げさせてもらえないのは、信用されてない証拠ですからね」
メジャー復帰第一戦のマウンドを降りた翌日、井川はそう言った。
「まぁ、仕方ないってのは分かっているけど……」
結局、彼は4回3分の2を投げて5安打2失点で降板した。奪った三振は5個、与えた四球は3個だった。
「次の登板は、また7日後らしいですよ。せっかく中四日の調整法を考え直したのに、またやり直さなくちゃいけない」
先発ローテーションの5番手に入った井川は、中四日の間にオフがあれば登板機会を飛ばされる運命にあった。すでに実績のある王建民、マイク・ムシーナ、アンディ・ペティット、そして、ロジャー・クレメンスの四人で先発を回せる限り回したい、という首脳陣の思惑だった。
井川を取りまく状況は依然として厳しかった。メジャーでは「必要となれば投げさせる」先発投手であり、マイナーには期待の新人フィル・ヒューズが待機していた。より良い結果を残せばメジャーに残留できるが、少しでも悪くなれば、すぐさまマイナーに送り返される立場だった。
「もっと投げたかったですけどね」
切実な願いだった。アメリカ流、メジャー流に従うことなく、練習法、調整法と自分流を貫いて、彼はメジャーに帰ってきた。あとは試合で自分流のピッチングを貫く番だった。しかし、それは自分の手で勝ちとらなくてはならないことだった。それは同時に、これから先はどんな結果が残ろうとも、フィールド上で起こるすべての出来事の責任を、彼が取らなければならないことを意味していた。
「新人扱いされるのは仕方ないことです。結果を出さなければ駄目なのは、日本でもどこでも同じことですから……」
異文化の中での格闘。野球からベースボールへの適応。
井川のメジャー挑戦は、まだ険しい坂道の途中にあった。
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