フェンスの向こう側で井川が左手を上げたのは、彼が野外での最後の練習メニュー=ランニングを始めたばかりの頃だった。練習中には珍しく、彼のほうから歩み寄ってきたので、こちらも駐車場に向かうところを方向変換した。
フォーム矯正……かなり熱心にやってるね、と冗談めかして声をかけると、井川はニコリともせずにこう言った。
「まぁ……今さらピッチングフォームがどうとか言われてもねぇ」
彼は自分の背丈ぐらいある外野フェンスに両手をかけながら、言葉を続けた。
「8年間、ずっとこれで投げてきたんだし、そもそも、投げ方がおかしかったら日本で86勝もしてないですよ」
サングラスをかけた井川の額からは、汗がにじみ出ていた。彼は帽子をかぶっていなかったし、ユニフォームも着ていなかった。ヤンキースのTシャツにトレーニング用のショーツ、濃紺の靴下にランニング用のシューズという格好だった。
「まぁ、彼ら(コーチ)の仕事は理解しています。結果が出なかったんだし、なんかしなきゃいけないんだろうし」
しばらく話し込んだ後で、彼はまた左手を上げて会釈し、再び走り始めた。
ヤンキースのマイナーリーグ・コンプレックスは、彼らが春季キャンプを行うレジェンズ・フィールドのすぐ近くにあった。春の家主が去った後、そこはタンパ・ヤンキースの本拠地となっていた。メジャーからは3階級も下のA級マイナーリーグ球団である(注 AAA級が一番上。次がAA級)。
しかし、5月12日の蒸し暑い午後、井川はそこにいなかった。
彼がいたのは通りを挟んだ向かい側にあるマイナーリーグ施設の中だった。そこにボールパークはなかった。あったのは大型のクラブハウスや常駐の打撃練習場、ブルペン、そして4面ある練習用のベースボール・フィールドだけだった。そこを本拠地にするのはガルフ・コースト・ヤンキースという名のチームだった。チームにいるほとんどの選手は、ドラフト対象外の中南米出身の選手たちか、ドラフトで指名されなかった無名のマイナーリーガーばかりである。彼らは試合前の国歌斉唱も行われない練習試合を毎日繰り返し、ルーキーリーグからA級を目指している選手たちだった。この日も彼らは、フィールドの二つを使って試合を行っていた。
井川はそこから一人だけ離れて、まったくの別メニューでトレーニングしていた。二人のコーチがつきっきりになるのは、投球フォームの矯正の時だけだった。井川は彼らに言われた通りに足を上げ、足を下ろし、そして腕を振り下ろし続けた。高い重心のまま前へ。上げた足を真っ直ぐに前へ。彼はその動きを無言でやり続けた。その不恰好な投球フォームが身につくまで。自分ではない他者が納得するまで……。
「そういう予感はありました」
その日の午後、井川はそう言った。マイナー降格を告げられる予感はあった、と彼は言った。
「マリナーズ戦よりもずっと前、デビルレイズ戦で投げて打たれた時から、マイナーに落とされるかもしれないとは感じていました」
5月4日のマリナーズ戦で先発に復帰した井川は、しかし、4回を投げて9安打8失点と打たれ、その3日後にマイナー降格を告げられた。
ヤンキースのジョー・トーレ監督は、井川のマイナー降格の理由を記者会見でこう語っている。
「彼(井川)が安定した結果を残せるために、居心地よくいられる手助けになることをしようとしているだけだよ。それは彼も分かっている。彼がこのチームにとって重要であることと、これ(マイナー降格)が今よりも良くなるために必要なことなのだということを理解してもらうために、我々も時間をかけて彼と話し合ったのだから」
マリナーズとのシリーズ最終戦が行われた7日の午後、井川は突然、監督室に呼ばれた。部屋にはブライアン・キャッシュマンGMとロン・ギドリー投手コーチ、そしてヤンキースが抱える若手投手の指導方針を統括しているピッチング・コーディネーターのナルディ・コントレラスがいた。
「たまたま弓さん(渡辺弓太郎通訳)がいなくて、広岡(勲 広報)さんが通訳してくれたんですけど、雰囲気で『マイナーに行けってことなのかな?』って分かった」
と井川。メジャー6試合で30.2イニングを投げて防御率7.63。その理由の一つは調整法にあった。
「……自分が納得できるような調整ができなかったっていうのはあります。周りを見ながら練習してきたから、いつ走っていいのか、いつウェート(トレーニング)をやったらいいのかってのが最後まで分からなかった」
球場にやって来る。練習時間になる。ウォームアップ、ストレッチ、キャッチボール、打撃練習の間の球拾い、軽い食事、そして、ゲームが始まる。そのスケジュールの中で井川は自分の時間を見つけられなかった。
「打撃練習している時に勝手に走っていいのかなとか、試合中に練習してもいいのかなとか、最初から最後までベンチでゲームを見ていなくちゃいけないのかなとか……。どこで自分の練習をしたらいいのかが最後まで分からなかった」
とりあえずメジャー流でやってみよう、という彼の考えが、皮肉なことに落とし穴になった。だが、今となってはそれも言い訳に過ぎない。調整法がどうあれ、結果さえ出ていればマイナーへの降格はなかったのだ。
では、なぜ彼が望むような結果が残らなかったのだろうか。
「自分らしいピッチングですか?……それはまだ、あんまり出来ていないでしょうね。(4月28日の)レッドソックス戦の時は最初から力を入れて投げてうまくいきましたけど、それは(5月4日の)マリナーズ戦でも同じだったんです。あの試合でも最初から力入れて投げていましたけど、結果だけが(レッドソックス戦とは)違っていた」
そもそも、自分らしいピッチングとは何なのだろうか。
「力で押して、押して、最後にかわしてみたり、さらに力で押してみたりっていうピッチングです。基本的には力で勝負したいけれど、自分みたいに大して球が速くないピッチャーだと、力で押し続ければいつか打たれてしまう」
そんな言葉を聞くと疑問も生まれる。
シーズンが始まった頃、井川はよく「ゲームを作りにいってしまったのかも」と言っていた。長いイニングを投げるために適当なペース配分をして、時には「ボールを置きにいく」。しかし、それは「力で押す」という言葉と矛盾するのではないのだろうか、と。
「使い分けですよね。相手に打つ気がないのに、全力で投げても仕方がないから……」
いつ終わるとも知れぬマイナー生活のはじまり。明確なゴールの見えない自分一人のレース。井川の視線はその途中で彷徨っていた。
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